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2009.03.31 (Tue)

私の地味ぃ~なデザインワークその2

また行きます。私のジミィ~な仕事です。

それは意外なところにありました。
私がいつも行くコナミのジムのダンススタジオの前の長イスの下に。

スタジオの前に一列に並んでいる長椅子の下に規則的に並んでいるボコッと
したものがあったのは知ってたのです。
このシルバーの四角いものはヒョッとしてと、近づいたらヤッパリそうでした。
ハイテンションa
私がデザインしたテンションプレートです。と言っても一般の方には
「何やそれ」でしょうね。
これは事務所のフロアーコンセントです。

写真はトレーニングマシン横にあったもののアップです。
相当に使い込まれて、結構キズ入りです。たぶん20年物以上でしょう。
ワインならビンテージ級です。
SN3A0853a.jpg
コンクリートの床には配線ダクトというものが埋まっていて、
コンセントを出す位置に、これを取付けて使うのです。

もう一つの写真はうちの会社に置いてある背の低いローテンション。
このシリーズでグッドデザイン賞をもらいました。
ローテンションa

メーカーサイトです。まだ現役で販売してます。
http://www.scs-setsuyo.co.jp/products/history/index4.html

一番最初に設置されたのは東京の特許庁ビルで、次が横浜ランドタワービルでした。
以来、いろんなビルで見かけます。足元の事ですから関係者しか分かりません。
ビルにはなくてはならないもので、平気で30年は使うものです。
蹴られたり、いろんな物をぶつけられたり、水をかけられたりもするので、
相当タフにデザインしました。

これは指か、コインで押し回しでターンアップするターンテンション。
これも床から出ますが、最も安全な半球体の回転形でまとめました。
そこが評価されて、グッドデザイン賞の中小企業長官特別賞をいただきました。
ターンテンション1
閉じたところ
SN3A0855a.jpg
プロダクトデザインの中でも最も寿命の長い製品でしょう。
渋いところですね~地味ですね~。
この渋さにどうぞ拍手を。

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2009.03.30 (Mon)

もつ料理 「あらた」 淀川区西中島

久々に行きました、仲間と3人で。
牛モツ系は苦手な私ですが、ここだけはまるで別世界です。
あらたa
L字型カウンターだけのお店で、いつも曜日関係なしで混むので、
ちょっと遅め(8時前くらい)に行った方が確実です。

お料理は丁寧な仕事の素晴らしいもので、モツの本来もっている旨味を引き出す腕は確かです。

飲み物は瓶ビール、日本酒、特性ハイボールの3種類だけ。
誤って生ビールと言うと、店主から冷たく「うちは有りまへん」答えが帰ってきます。

突き出しが和風モツ煮込みで、さあスタートです。
あらたd
特筆すべきは「生レバー」で、どんなレバーでも大嫌いな私が、ココではいつも
最初に注文してします。ここでは塩ゴマ油ではなくて酸味系のタレです。

今日はレバーとコレ! チレ(脾臓)です。
あらたチレ脾臓
定番のコールタンを頼んだ次に、これがフク(肺臓)照焼
おろし生姜がいいです。
あらたフク照焼
テールシチューはお肉がホロホロです。
もちろん骨までシャブリます。
あらたテール
3人ならだいたいメニューを全部楽しめます。この日も制覇しました。
最後はテール雑炊で仕上げます。

5時半の開店から、次から次と待ち行列ができるので,
早い時間からの滞在は1時間程度がどうもマナーのようです。
店主から『そろそろ』の声がかかったら快くお代を払って帰りましょう。

もつ料理 あらた
大阪市淀川区西中島4-2-8 B1F
06-6304-5250
17:30~23:00
定休:日・祝
基本的に1品400円

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2009.03.27 (Fri)

居酒屋 「岩山海」 高井田本通

以前にネットでたまたま見て、この特徴的な名前が出て来ずにいたら、
たまたま関西meetsに出いて、やっと行けてからもう3回行きました。
こんなお店が街中の交差点にあるから、ちょっとビックリです。
iwasannkaia.jpg
"いわさんかい"名称は「岩山海」ですが、店主のうけ狙いが見え見えです。
関東の方には関西弁独特の意味を兼ねてますから難しいです。
「い」を母音にして叫ぶと、俗に言う「やってしまえ」の意味になります。
「いわす」には「壊す」「つぶす」という意味もあります。関西弁講座です。

この岩山海は、鳥取県境港直送の魚介類を使った漁師料理の居酒屋さん。
岩山海トラックで、ほぼ毎日浜セリの魚を運んで提供するという産直居酒屋です。
トラック
なかなか豪快な店で、焼ネギを注文すると一本そのまま出てきます。
写真手前のハサミで切ってコンロに自分でのせます。
iwasannkaib.jpg

素材が新鮮なのがいいからと、ニューヨーク在住の日本人家族と
アメリカ人家族8人で、来た事もあります。

その時、たまたま店主と話したら「シケで浜セリのない時は食材集めに
苦労するねん。今日もネタがなくてな、しゃーないから季節外れのロシア産
ズワイガニを赤字覚悟で出してんねん。」と聞きましたので、さっそく注文。

そのアメリカ人の旦那に炭火コンロの焼きガニの身を、横で焼いた甲羅みそに
浸けて食べたら日本酒にあうよと教えたら「dcadent!!」と言いながら、
ガンガン食べて飲んでました。

退廃的でいて耽美とかいう意味ですが、大阪弁で言う「これヤバいで!!」と
言っているのが、雰囲気から十分理解できました。

その後帰国してから「あのカニ身とカニ味噌と日本酒....。」と唸っていると聞きました。

この旦那さん、帰国した次の年にでエミー賞ドキュメンタリー部門作家と
なられました。「退廃的でいて耽美なムービー」をつくられたのではと思います。

岩山海はJR八王子駅近くに東京店を出したらしいです。
下はなんば店のURLですが、私は行くなら布施本店をオススメします。
http://www.iwasankai-nanba.com/

岩山海布施本店
大阪府東大阪市高井田本通2-2-1
06-6784-3465
17:00~24:00(LO 23:30)

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18:55  |  居酒屋/もつ料理/食堂  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.03.26 (Thu)

「豚饅551蓬莱」

新大阪駅でお土産に訳あって2種類の「蓬莱の豚饅」を買いました。

奥が「蓬莱のぶたまん」の箱で、手前が「豚饅551蓬莱」の箱です。
蓬莱の書体は一緒でパッケージも同じ赤。飾り模様もよく似てます。
(箱が潰れてて失礼)
蓬莱の豚まんb

奥が「蓬莱のぶたまん」で手前が「豚饅551蓬莱」
(奥のに切れ込みが入っているのは包丁跡です。)
蓬莱豚まんa

「蓬莱のぶたまん」も「豚饅551蓬莱」も同じ4つ入740円。

「551蓬莱」は地階の北側に東西に伸びる飲食街にあり、
食事もできるし、テイクアウトもやっている。

私はこれを知らないで、改札階中央の売店の「蓬莱のぶたまん」を買った、
まだ時間があるから地下の「551蓬莱」でラーメンでも食べようと入店。

そしたら店員に言われたのが「上の階の蓬莱のぶたまんは私共551蓬莱とは
まったく関係ありません」って言われた( ̄ロ ̄lll)


新大阪には、同じ蓬莱を名乗る別々の豚饅が存在するとは知らなかった。

ものすごく気になって、この「551蓬莱」でも豚饅を買った。
家に帰って、食べ比べて見ました。味は人それぞれの好みですが、
私は「551蓬莱 」の方が好きですね。横浜や神戸の中華街の豚饅とは、
また違う別の豚饅と思います。

実は、「株式会社蓬莱」「蓬莱本店」「蓬莱別館」とい3つの会社が
あって、元は同じ会社で「株式会社蓬莱」が「豚饅551蓬莱」で、
「蓬莱本店」が「蓬莱のぶたまん」をつくってるんですって。

豚饅にカラシをつけるのは関西だけというのも聞いたことがある。
そんな習慣も昔の蓬莱がつくったのかも知れない。タコ焼き、お好み焼きと同様に、
それぞれの蓬莱には、大阪の豚饅文化を広げていって欲しいものだ。

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18:52  |  粉もの(お好み焼き/たこ焼き/豚まん)  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.03.25 (Wed)

割烹 「塩井」 阪急服部

きのうは阪急服部駅近くの割烹「塩井」に行きました。
ここには結構よく伺います。
塩井e

仕事が遅くなって腹ヘリまくりなので、そのまま着席食事開始。

タラの芽と三つ葉の天ぷら
タラの芽って大きく育ってしまってもホワッと美味いのを始めて知った。
塩井a春野菜
牛ロースと茄子の味噌炒め
しっかりした味が、芋焼酎(富ノ宝山)のロックに良く合いますね....。
塩井ロース

春キャベツとタケノコのしらすサラダ
さっきの天婦羅もいいのですが、口の中が春感はこちらが上。
塩井春キャベツ

その他いろいろ、とても美味しゅうございました。

名前が塩井ということもあり、つけ塩は全てこのお店の手づくり、
市販の塩では味わえないおいしい塩、特に野菜天婦羅にはいい。

ほぼ毎日献立が変わる日替わりのお品書き。
塩井f


塩井 
大阪府豊中市服部元町1-2-16
(阪急宝塚線服部駅を東へ2分)
06-6863-3393
17:00~23:00 
日曜・祝日定休

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19:28  |  割烹  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2009.03.24 (Tue)

デザイン 「メタフィスviss(ビス)」 消しゴム

この手があった、言うのは簡単だが。
消しゴムc村田a
消しゴムに求められる機能は
●面を消す
●細かいところを修正する
なのだが、従来の四角形消しゴムでは最初は角エッジがあるから使えるけど、
8カ所の角を使ってしまうと「細かいところを修正する」の機能が不完全化する。

コクヨに「角消し」という名の消しゴムがあって、これは角がたくさんあるタイプ。
でもいづれ角は無くなるし、これは面を消すのに力を入れるとちぎれた。
カドケシa

このviss(ビス)消しゴムはネジ上のスパイラルの連続する稜線が角になっている点が
優れている。まわして使うことで、途切れることなく常に尖った部分を使うことが
できのだ。
消しゴム

上下の面が直径14.5mmの円形で、大きく消したいときはこちらを使えばよい。

これをデザインしたのは村田智明さん。私もよく知っている大阪のデザイナーです。
彼の率いるハーズ実験デザイン研究所によるデザイン・コンソーシアム・ブランド
「METAPHYS」による製品。

この手もあったのか!と思わせるvissですが、シンプルでベーシックな形ながら、
機能を考えた結果たどり着いた新しいあるべき姿には拍手です。

消したいといえば今日記者会見で、陣内智則が浮気げ原因で藤原紀香との離婚を
認めたとか、消したい過去を消せる消しゴムはないよね~。

お求めはこちらから(白、黒、オレンジ各315円)
http://caina.jp/commodity_detail/91062559/
(一部記事にジャパンデザインネットからの引用をさせて頂きました。)

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17:45  |  デザイン  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.03.23 (Mon)

青果店 「天満市場 加藤青果」北区池田町

この年になると野菜が旨いのである。

数年前に友人に教えてもらった大阪の天満市場のB1にある「加藤青果」さん。
和洋中と幅広く青果食材を取り扱っていて、お客はプロも多い。
ここの加藤さんはいつも珍しくて美味しい野菜を揃えているし、
珍しい野菜は食べ方も教えてくれるやさしい人。
加藤b

同年代の友人達を招いての食事となり、さてメニューはと思ったが思いつかん。
若い時と違って、肉中心はちとシンドイ。こんな時は天満市場に行くに限る。

ブランド牛肉は確かに旨いのだが、この年になるとそんなには喰えない。
だから、途中ではさむ美味しい野菜に心が動くし、野菜の甘さや本来の味が
なつかしくもうれしい。

この日も手に入れたのが「Barafuバラフ」と「金針菜」金針菜はユリの
つぼみで我が家では数年前からおなじみの野菜。中華っぽい炒め物に使って
美味しい野菜。鉄分がほうれん草の約20倍で、補血野菜として有名。
加藤d

「Barafuバラフ」は今回が始めてで、口に入れて噛み出すとビックリの塩味。
炒め物にもいいらしいですが、今回はサラダに使いましょう。
加藤c

 
天満市場のサイト
http://tenmaichiba.com/
天満地図のコピー

加藤青果
大阪府大阪市北区池田町3番1号ぷららてんま B1F
JR環状線天満駅近く
06-6353-0174
7:00~17:00
日曜・祝日、水曜不定休

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2009.03.22 (Sun)

■大津市堅田「刀禰家」調査レポート本文

けんさん

まず、前のトピの「刀禰家」調査レポート地図で、全体の位置関係を見て下さい。赤い印が堅田です。この琵琶湖の幅が一番狭くなるところで、湖族として琵琶湖の航行権を握り、大津や瀬田へ出入りする船から通行料を取っていたのです。

右下に比叡山があり、当時の京の都に入るには一端北上して、途中という三つ辻から南下して大原を経由し、修学院あたりの都の右上から入るのが普通でした。これが吉川英治の「新・平家物語 6巻」の中心の舞台です。

JR堅田駅のホームに立つと、東に琵琶湖がデーンと開けて見えます。西は右に比叡山の麓が広がり、左は蓬莱山が雪を被っていました。時間通り1時に改札に岡トニーさんが現れました。私の顔がイラスト通りなのですぐ分かったと言われました。(^_^;)

歩けば20分と聞きましたが、のっけから歩きはキツいのでタクシーに乗り「湖族の郷資料館」へ向いました。最近の駅前は何処でもにたようなもんですが、本堅田地区に入ると一気に昔の街並です。もう少し真っすぐ行くと、そこが琵琶湖畔という場所に「湖族の郷資料館」はありました。

写真で見ていたよりこじんまりとしています。中に入り100円払って記帳しました。ここの岡本館長さんに、「私達は刀禰という名字で、どうやら湖族三家の末裔らしいので調べに参りました。」と言うと、「先日も秋田から刀禰さんという方が来られました」とのお答えでした。(mixiでは秋田には刀禰さんも刀祢さんもおられないのですが、今後出来るだけ追跡してみます。)

展示品をザッと見せて頂きましたが、展示の中心は「応仁の乱」以降の西暦1467年以降のものが多かったです。「応仁の乱」で堅田の町は焼け落ちたと聞いて、のっけから暗くなった私達です。800年から1200年までの湖族三家の刀禰家、居初家、小月家についての資料はほんの僅かでした。

湖族三家の力は800年頃にはすでに相当強く、892年には三家の力を合わせて本堅田に「伊豆神社」を建立します。この神社は伊豆の三嶋大社からの分霊で、この後の堅田の繁栄を祈願したものです。当時の神社建立には計画から20年はかかったでしょうし、それまでに蓄財の期間も相当必要だった訳で、西暦700年代に「刀禰家」は湖族として存在していたのではと考えます。

岡本館長さんの「現在、居初家の末裔は残っているが、刀禰家、小月家はここに存在しない。」の話しに私達は再びガックリでした。刀禰と小月が堅田からいなくなるのは何時で何故かと聞くと「応仁の乱の時点ではすでになくなっているらしい」との返事で、それ以上の事は分からないとも。

私は変な事に気付きました。それはここの資料には「湖族は居初、刀禰、小月」の順で並んでいるのですが、これまで私が調べた歴史資料の多くは「湖族は刀禰、居初、小月」の順で紹介しています。普通は目立つものから順に書くのが普通です。これは刀禰が一番勢力を持っていた時期があったと解釈できて、その時期が「伊豆神社」建立の時期ではないかというものです。現在も残っているのは居初家だけだから、敬意を表して地元では居初を先頭にしてるのかなと思いました。

岡本館長さんは年の頃なら70過ぎの方で、岡トニーさんが頑張って質問したのですが、違う時代の説明を繰り返えすので、ちょっと要領をえない感じでした。でも「伊豆神社」のは建立時の古い資料があるかも知れない事。「応仁の乱」の時の大火で本堅田の建物はほとんど焼けてしまった事実。その後も琵琶湖の大洪水が何度かあり、古文書のたぐいも大変少なく、残っていても相当傷んでいて、大津市による修復も予算不足でまだ一部しかされていない事が分かりました。

資料館の2階に「吉川英治の新・平家物語6巻」の刀禰弾正介と源義経との関わりの箇所が大きく展示してありました。こういうものは湖族が関わった一番のトピックを展示するはずですから、やはり新・平家物語にはこの箇所以外に湖族との関わりの記載はないという事でしょう。

湖族三家が名字を賜った下りが本福寺の寺史P152に記載されているとの情報もありました。私も岡トニーさんも名刺を渡して、これ以降「刀禰」についての情報があれば連絡を頂くという事で「湖族の郷資料館」を後にしました。

資料館を出て右に進むと禅寺の満月寺があり、その境内には琵琶湖に突き出た、有名な浮御堂があり、せっかくここに来たのだからと行ってみました。一条天皇の時代、西暦995年頃に比叡山横川恵心院の源信(恵心)という僧都が、自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで「千体仏堂」と称して湖上通船と衆生済度を祈願して建立したもの、と記してあります。

現在の浮御堂は再建されたもので、浮御堂の湖面に向かって、左前方に古い時代の浮御堂の基礎部分が残っていました。「新・平家物語」では源義経の叔父で熊野水軍の源氏の有力者、新宮十郎行家の姪の嫁ぎ先である、「刀禰弾正介」を源義経が訪ねて、湖畔に突き出した館で酒を酌み交わす下りがありました。湖面の夕日に照らされる浮御堂を横に眺め、今私の眼の前に広がる湖東の景色を愛でながら行われたであろう、酒宴の様子が想像できます。【写真真ん中は浮御堂の私、けんさん】

浮御堂を出て、いよいよ確信の「伊豆神社」です。歩いて10分もかからない所にありました。真新しい「伊豆神社創建千百年記念植樹」の碑がありました。現在の住所は本堅田1丁目で大きな門の前に由来説明があり、そこには以下のように書かれています。

当社の草創は寛平4年(西暦892年)と伝えられています。
宇多天皇の寛平年中諸国行脚の法性坊尊意僧正により、
三嶋明神の分霊を此の地に勧請したものであります。

又、牟田髪天皇天暦三年五月(西暦942年)に山城加茂大神を
勧請し、神田大明神伊豆大権現の二神を祀り、
堅田大宮と奉称され、堅田全域の総鎮守として
崇敬されてきました。

さらに当社を中心に室町時代より、宮座(今の自治組織)があり、
殿原衆と全人衆の会議制で運営された事が、歴史上明らかであります。

先程の岡本館長のお話で、ここに古文書が残されているとの事でしたが、度重なる災害で相当傷んでいる事と、大津市歴史博物館にも湖族の資料があるので、先にそちらを一度調べてみてはとの助言で、今回は社務所を訪ねませんでした。

前日に予約をした「居初家」に伺う時間にはまだ早いので、湖族三家が名字を賜った下りが寺史に書いてあるという「本福寺」に行きましたが、何とお寺は保育園と一体で建物はコンクリートでした。寺の正門のあたりは西暦1500年の建立時のままのようでしたが、それでも先程の「伊豆神社」に比べると新しいさが見えます。保育園を怪しいオッサン二人がうろつくのも何なので、お寺の境内をひとまわりして「居初家」に向かう事にしました。

「居初家」は確かに歴史を感じる建物でした。インターホンで「予約しました刀禰でございます。」と告げると、年の頃なら70過ぎの居初さんが出てこられました。赴きのある苔蒸した飛び石の玄関を抜けて、庭に通されました。【写真右は庭からの琵琶湖】

居初家は国の名勝指定を受けている「天然図画亭庭園」があります。つまり絵に描いたように美しく見える琵琶湖を背景にした、庭園と言う事でしょうか。確かに書院の中から見る縁側越しの湖水に面して、湖東連山を借景にした枯山水庭のリズミカルな構成は美しい絵画のようでした。【写真左は書院からの眺め】

現在の居初家当主は29代目でした。昔は寿命が短かったとしても平均35年は当主を勤めたとして、1015年、29代目はすでに70才は越えておられる風なので、「伊豆神社創建千百年記念植樹」と符合します。結局、この居初さんのお話のおかげで、今日これまでの情報がまとまったものとなりました。以下は居初さんの説明です。

伊勢平家の流れをくむ当家は都の院の御所を警護する北面の武士であった。この北面の武士は6人いて、その内の3人が白河上皇の寛治4年(西暦 1090年)庁宣によって、下鴨神社堅田御厨の供御人となる。合わせて京の貴船神社より、それぞれが居初、刀禰、小月の名を賜る。(それ以前から三家の名はあった訳ですから、我々は名乗る事を承認されると解釈しました。)そして琵琶湖の湖上特権(関務/運送/漁業)を掌握した。

中世は堅田の三豪族は殿原衆(居初、刀禰、小月)と呼ばれて、強力な水軍を保持して琵琶湖を制覇していた。寿永元年(西暦1182年)堅田大宮に、殿原衆が中心となり、宮座を成立させて町の運営を計った。その後は(西暦1467年)応仁の乱によって堅田の町は全て焼けてしまうが、その後は「居初家」を含む全人衆(商人/工人/農人)による住民自治の町となり、泉州の堺同様に栄えることになる。

それから1時間以上、堅田の歴史本を居初さんと3人で読みあさりましたが、さほど、新しい情報は出てきませんでした。そこで、私達が気になる質問を居初さんにぶつけてみました。「居初さんはこの地で29代続いてこられた訳ですが、刀禰、小月は残っていないのは何故なんでしょう。」と。

居初さんからは「残念な事に歴史的な建物や物品は応仁の乱の大災で全て焼けてしまい、分からないのです。ただ、今の場所に「本福寺」が建立される時に、その土地を売ったのが刀禰であり、その記述は本福寺の寺史に書かれていたのでは」との事で、さっそく寺史の本を調べると、確かに「文安元年1月28 日(西暦1445年)刀禰左衛門尉信吉(とねざえもんのじょうのぶきち)より、金9貫500文で本福寺が土地を購入する」との記載があるではありませんか。つまり1185年の壇ノ浦の合戦以降も「刀禰家」は堅田にあったのです。( ゚▽ ゚ ;)

まとめを書きます。
●堅田の地は縄文、弥生、古墳時代は小規模な集落が点在する程度であった。

● 奈良時代(西暦645年頃)に「衣川廃寺」という堅田の最初の寺が出来た。
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/jiten/data/025.html

● 平安時代前期に伊勢平家の流れをくむ堅田の湖族が登場して勢力を伸ばす。
伊勢と日本海や北陸地方を結ぶ交易ルートとしての琵琶湖は重要な位置づけとされていた。伊勢平家が勢力を伸ばしてゆく中で、船舶の航行権を求めて平家傘下の水軍が湖族として 近江堅田に進出して行った。

●平安時代の寛平4年(西暦892年) 刀禰、居初、小月の三家が力を合わせて、「伊豆神社」を建立(西暦942年)に山城加茂大神を勧請し、二神を祀り堅田大宮と奉称させる。この古文書が「伊豆神社」にある。

● 伊勢平家の流れをくむ湖族三家は白河上皇の御所を守る「北面の武士」で、西暦1090年庁宣によって、下鴨神社堅田御厨の供御人となる。同時に京の貴船神社より、三家が居初、刀禰、小月を名乗る事を承認される。そして琵琶湖の湖上特権(関務/運送/漁業)を掌握した。(平正盛と息子の平忠盛は白河上皇のために働き、富と権力を手中にした。平家は当時最大の荘園となっていた比叡山の勢力の牽制と、琵琶湖の航行権を確保するために伊勢平家の傘下の堅田湖族を増強したと考えられる。)

○1177年から1180年の間の吉川英治「新・平家物語 代6巻」にはこの時の堅田湖族は源平に対して中立だったが清盛の圧政には批判的だった。この時の刀禰家の首領「刀禰弾正介」は源氏の縁者を息子の嫁に迎えている。その縁で、源義盛の甥の源義経を平家の追っ手からかくまった。

○ある時、清盛に批判的な比叡山の僧兵と「刀禰家と居初家の息子達は」都の治安悪化を狙って、京の町で争乱をおこしたが、清盛配下の平時忠に捕まってしまう。見かねた源義経は刀禰・ 居初家の息子達を救出する替わりに、堅田湖族の平家に対する恭順、自らの遠国への立ち退き、比叡山僧侶との和解を条件に自ら京へ出向いて、平時忠と交渉してこれを成立させる。

○ それ以降1185年の壇ノ浦での平家滅亡まで5年の間、湖族は平家につきあう事になる。「刀禰家」と「小月家」の主力は一の谷から屋島へと出て行き、壇ノ浦で平家滅亡と共に落ち武者となり、源氏の追っ手から逃げて全国に散る。「居初家」の主力は残って後の豊臣秀吉の時代まで、堅田で自治を行った。 首領を失った「刀禰家」と「小月家」は自然に衰退しく行く事になる。

● 壇ノ浦合戦後の落ち武者の一派は山口県萩市大島に逃れて、町を起こしてその子孫は現在も大島に在住している。刀禰を含む平家7名の落ち武者伝説も現存している。
(このサイトの下の方に記述があります。)
http://www.pref.yamaguchi.jp/gyosei/chiiki/island/3osima.htm

● 1445年には堅田の「刀禰家」の刀禰左衛門尉信吉(とねさえもんのじょうのぶきち)は本福寺建立のための土地を寺に売却して、堅田を去る。

● 1467年の応仁の乱で堅田の町は大火に包まれ、新しい区画整備が始まり、現在の「居初家」はその時に再建されたものが現在に至っている。

というところでした。●はほぼ歴史上の事実で○はこれまでの調査で考えられる仮説です。

後書きです。
岡トニーさんとJR堅田駅で始めてお会いして、二人で5時過ぎまで駆け足で刀禰の足跡を探しました。くたびれたのと腹も空いてきたので、地元で有名という昭和13年創業の寿司屋「志満屋」で名物の鰻の「ひつまぶし」を頂きながら、ビールと焼酎で800年ぶりの今日の再会に乾杯しました。
旨かったです。( ̄¬ ̄)

店の大将の田中さんに、私達はこちらの湖族の「刀禰家」の末裔のようなので、今日は堅田に調査に来ました。と話すと「堅田は湖族の郷で丁度売り出しているところにようこそいらっしゃいました。実は私の20フィートヨットは湖族の郷を縮めて、KOZOSATO号と命名しているんです。」と嬉しそうに話していました。( ̄~ ̄;)

今回の堅田の調査を終えて私達二人の感想は再調査の必要あり、というものです。大津市の歴史博物館の湖族の資料は調べる価値があります。その上で再度29代目居初さんにお話を聞く必要がありそうです。(・ω・)

堅田の刀禰が全ての刀禰さんのルーツに直結する訳はないのですが、萩市大島の刀禰さんの様に平家の落ち武者伝説が残っている家系、福井と石川の刀禰さんのように堅田ルートに近い家系、和歌山の刀禰さんは果たして壇ノ浦組なのか、伊勢神宮役職系なのか、詳しくは書きませんでしたが、刀禰は伊予水軍との関わりもあったようです。この辺は言い伝えなどを交えて、互いの情報交換の必要がありそうです。d( ̄  ̄) 

出来ればみなさんで、一度集まるのがいいかも知れません。そして集まる場所としてはこの刀禰家の歴史が語り継がれている、樫田が最適と思いました。そんな事を二人で話していたら、この「志満屋」の大将が「どうぞ、うちの2階の座敷を使って下さい」って言っていました。まあ、何と商売っ気のある方でしょう。(*^_^*)

■なんで刀禰家だけが源平の戦いに出て行ったのか

けんさん
やっと吉川英治の「新・平家物語六」を読み切りました。一度では不明な点もあり何度か各部を読み返しました。

●本編に入る前に本の時代背景を整理します。

この第六巻は源氏が平家討伐の旗を上げる前の治承元年(1177年)から3年間を源義経の行動を中心に書かれています。壇ノ浦の合戦(1185年)で平家が滅亡する5年前までです。

西暦800年頃から伊勢神宮の伊勢国支配に於いて、刀禰がその末端として船舶の航海権を管理していたのはどうやら事実のようです。伊勢平家の台頭と共に、治安維持活動を含めて、海賊の討伐や中国との交易を担当したのが刀禰水軍と考えられます。

清盛は伊勢平家の出身で父の忠盛、祖父の正盛は中国交易で財を成して、白河天皇のために働いて、勢力を拡大させて清盛の代になって最大の権力を持つに至ったのは史実です。

西暦1000年当時は熊野と伊勢は伊勢街道が整備され、伊勢と日本海や北陸地方を結ぶ交易ルートとしての琵琶湖は重要な位置づけとされていた。平家が勢力を伸ばしてゆく中で、船舶の航行権を求めて刀禰が湖族として近江堅田に進出して行ったと考えます。(これは私見です)

琵琶湖の物流ルートを掌握する堅田湖族(刀禰家、居初家、小月家)には、その時京の都を治めていた平清盛も一目置く存在で、堅田湖族は源氏と平家どちらにも旗色を明らかにしない独立国家のような存在だった。

西暦1000年当時は「熊野源氏」と「熊野平家」の両方がにらみ合いながらも共存していた。(源氏の本拠は東国の平泉で、平家の本拠は伊勢と京の都)

●ここから吉川英治作「新・平家物語六」の抜粋です。

源義経は18才で平泉を飛び出して叔父の源義盛をたずねて熊野に入るが、源氏側の追っ手に追われて、中立地帯とも言える近江堅田の「刀禰弾正介だんじようのすけ」のところに身を寄せる。

当時の堅田湖族は源平どちらにも組せず、公の立場は中立だったが、清盛の圧政に批判的な立場を取っていた為に源氏支持派が多かった。刀禰弾正介もその一人で、源義盛とも交流があったために、その甥の源義経をかくまった。

ある時、清盛に批判的な比叡山の僧兵と刀禰家と居初家の息子達は平家の納める都の治安悪化を狙って、京の町で争乱をおこしたが、清盛配下の平時忠の兵に捕まって牢屋に幽閉されてしまう。刀禰弾正介は救出の部隊を差し向けるが失敗に終る。

見かねた義経は刀禰家と居初家の息子達を返してもらう替わりに、樫田湖族の平家に対する恭順と、義経主従の遠国への立ち退きと、比叡山僧侶と平家を和解させるという3つの条件を熊野誓紙にしたためて、刀禰家と居初家の息子達を返す交渉を自ら京へ出向いて、清盛の配下の平時忠と交渉して成立させる。

●刀禰家に関わる記述は以上です。

交渉が成立したので、それ以降壇ノ浦の平家滅亡まで5年の間、樫田の刀禰水軍は平家につきあう事になります。一方の居初家が、なぜ平家に加勢する事なく、後の豊臣秀吉の時代まで堅田にいる事になったのかは不明です。

ここで肝心な事に気付きました。本題の「なんで刀禰家だけが源平の戦いに出て行ったのか」か謎のままです。 ( ̄□ ̄;) ガーン
スミマセン分かりませんでした。

あくまで、吉川英治の世界ですから史実とは限りません。うちの家には刀禰水軍、近江堅田、壇ノ浦でボロ負け、落ち武者となり時国家について、能登の輪島先の真浦へ辿り着いたと父から聞きました。

・山口県萩市にいらっしゃる刀禰さんとは壇ノ浦で、分かれてしまった可能性が高いです。

・福井県や和歌山県の刀禰さんも、水軍、平家、壇ノ浦が語り継がれているならば、壇ノ浦から生き延びた一族の出かも知れません。

・もしそんな言い伝えがなければ、役職としての浦の「刀禰」や、特に福井県では製塩を司る浦の「刀禰」が名前になっているとも考えられます。神事、神官としての「刀禰」や村の長としての「刀禰」の可能性も高いです。前のトピで書きましたが、「刀禰の○○さん」が代々続き縮まって「刀禰さん」になったのではという説です。

岡トニー
おかとにです。けんさん、どうもご苦労様です。わくわくして読ませてもらいました。吉川英治さんの小説だと、我々の祖先はあの義経をかくまったんですか?平氏にはめられて味方にされてしまったんですね。ロマンがあっていいです。あり得る話です。

なぜ、刀禰だけが源平の戦いに出て行ったか?
要領が悪かったのでしょうか?
私たちの祖先らしいです。(失礼しました!)
私の和歌山の家でも昔、都落ちしてきた、という話があるので、
その刀禰家であってほしいですね。
でも、役職の刀禰や、それが偉くなって刀禰を名乗るようになった刀禰と区別がつきません。あるいは、堅田   の刀禰も、官職名の刀禰から出たのかもしれませんし。
前にも書いたように
プロの歴史学者は、堅田の刀禰はほとんど無視、
刀禰争いの方の刀禰(官職名からきた)にばかり注目しています。一度このへんのところを専門家に聞いてみたいですね。


せ〜やん
めっちゃ解りやすいっ!
すげぇ〜っす。

お疲れ様ですっ!

「平家の落ち武者」とだけ聞いていた自分。
「刀禰」で調べると、伊勢神宮に縁があるらしい。

で、今回「熊野」という言葉が出てきましたね。
これって、もちろん「熊野古道」の熊野…和歌山ですよね?

和歌山に刀禰があっても、別におかしくないっちゅうコトですね。

ウチの本家は高野山の方にあるらしいし。

って、前にも似たようなコトを書いた記憶が…(^^;)

けんさん
コメントありがとうございます。
感想を書いて頂けるのが励みになります。
何せこれだけ書くと、フッと後ろを見ると誰もいないのでは、
と不安になりました。

ほんとは「新・平家物語」のこの後の6、7、8、以降を読むべきなのでしょうが、私にはとても、とても、根気がありません。誰か読んで、刀禰弾正介のその後どうなったかが、書いてあるのか調べて頂けるとありがたいのですが.....。

本に書いてありましたが、源義経が訪ねていった叔父の源義盛がなぜ、平家の圧政下で熊野源氏としてそこにいたのか、という下りが面白かったです。源義盛は東国の武将ですが、伊勢参りの折に熊野である女性に出会い、ベタ惚れして東国に帰るのをやめてそこに居を構えてしまったそうです。これが平家の天下の中で熊野源氏の血筋が残った理由なのでしょう。

この源義盛が恋をしなければ、源義経が身を隠す事はできずに、まして刀禰弾正介に関わる事もなく、歴史は変わっていたのかも知れません。歴史はロマンです。 もとをたどれば、平家も源氏も天皇の血筋で分家の分家だから皇族から外れた家柄です。清盛はもう一度天皇家の主流に戻りたかったから、娘の子の安徳天皇を無理矢理即位させたました。

それが民衆の支持を失い、源氏に天下を奪われ、一族どころか刀禰水軍をもバラバラにする結果となりました。 身びいきは家庭の命取りになるという、教訓です。

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タグ : 「刀禰家」調査レポート本文/なんで刀禰家だけが源平


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2009.03.21 (Sat)

焼き鳥 「izakaya番屋」 中央区鎗屋町

「やきとりizakaya番屋」まだそんなに名前の知られていなくて、
これから有名になるだろうというお店を紹介できるのは嬉しいものです。
番屋a

どっかのブログで偶然見て、ずいぶん誉めていたけど、名の知れている
店ではないので、ダメもとで行ったら、店はぜんぜん混んでなくて、
近所の中年のおっちゃんリーマン2組が酎ハイ飲んでる。

店主と奥さん(おそらく)二人でやっているお店。
お酒も一応の焼酎と日本酒が揃っているのに、後ろから
「酎ハイ梅でお代わり!」の声が飛ぶのでちょっと不安な気持に。

気持をとりなおして、とり肝とササミ、砂ズリなどの刺身と焼き物を
頼みました。店主が焼き場で、眼孔鋭く焼く姿がカウンターから見えます。
番屋g

とり生肝がきました。胡麻油で食べさせるのは普通ですが、
新鮮で甘いのです。

焼き物は「東京の勢い直下強火型」ではなく、
「関西のじっくり遠火の強火型」ですが、充分甘味を引き出して旨いです。
番屋f

塩焼きも、タレ焼きの味加減もバランスが良いのも大阪では珍しい。
このレベルの焼き鳥は大阪でもそうはないし、店主の実力はかなりのものと
見ました。

店主にこれはどこの鶏ですか、と聞くと、
「季節と肉の具合で仕入れの3種類から良いものを」との答え。
なるほどですが、それにしては安いです。東京都内なら、
こだわり素材の店でまず倍の値段でしょう。
番屋h

この日は結局8時頃から1時間半、しっかり飲んで食べて楽しませて
もらいましたが、店が混み合うことはありませんでした。

おそらくお昼の定食で頑張って、夜は店主のこだわりでやってるのでしょう。
ただこれほどの味なのですから、定食屋さん風のメニューの張り紙と、
大将のジーパンにTシャツ姿は考えた方がいいでしょうね。

こんな店は大事にせねば。
すでに私はリピーターです。

情報はコレだけ
http://machi.goo.ne.jp/0669441640

大阪市中央区鎗屋町2-4-5
06-6944-1640
月-金 11:15-14:00
月-土 17:30-23:00
休みは日曜・祝日

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2009.03.20 (Fri)

デザイン 「リリッシュ」 イトーキ折りたたみテーブル

少し前の仕事ですが、このリリッシュ今も販売好調だそうで
先日「リリッシュII」を発売しました。
リリッシュa

メーカーカタログにはこう書いてあります。

「しなやかな曲線が美しいアルミダイキャストの脚と薄く軽快な天板、
トータルなデザイン性を打ち出した折りたたみテーブルです。
直線タイプ、ラウンドタイプ、コーナータイプをラインアップ、
さまざまな形式の会議やミーティング等にお使いいただけます。」

2003年度のグッドデザイン賞を受賞しました。
リリッシュbb

確かに、脚部の造形は独特のオリジナルラインができて、オフィスとか、
仕事、事務的というイメージから、抜けた視点がつくれたと思います。

デビュー納品が六本木ヒルズ森タワーの上層階の多目的ホールでしたから、
記者会見で使われてるのをTVでよく見ました。

今となってはちょっと懐かしい、あのライブドアのホリエモンの会見にも
何度も使われてました。こういうのはデザインをした者の楽しみですね。

メーカーカタログ
http://dezauma.blog113.fc2.com/blog-entry-22.html

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19:29  |  私のデザイン  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.03.19 (Thu)

蕎麦 「瓢亭」 北区曾根崎

前々回の『阿み彦』の後に、蕎麦屋『瓢亭』に行きました。歩いて1分。
お初天神の中ではないけど、東側の路地を入ったところにあります。
(京都の懐石料理で同じ名前があるけど、別の店。)
瓢亭a

ここも今さら私がとやかく言う必要のない老舗です。
こちらの蕎麦は「あんな柔らかいのは蕎麦やない、」とも評されるが、
私に言わすと「こんなやさしい味の蕎麦はここしかない」です。
まあ、好みってのは誰にもある訳です。
瓢亭d
ここも私が21才から行ってます。いろいろメニューはありますが、
私は究極のやさしい蕎麦味の「せいろ」いつも注文は一斤半。
(ここの名物は柚を練りこんである夕霧蕎麦。変わり蕎麦だが美味しい。)

最後のふた口というあたりで、ス~っと出てくる蕎麦湯もええタイミングです。

ここは昭和中期から時間が止まっているような錯覚を起すお店です。
瓢亭b
瓢亭のサイト
http://www.h7.dion.ne.jp/~hyotei1/index.htm
大阪市北区曽根崎2-2-7
06-6311-5041
11:00~22:30
定休日:日・祝

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16:22  |  うどん/蕎麦  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.03.18 (Wed)

お初天神の戦争

美味しい話しでも、デザインの話しでもないのですが、
前の日記でせっかくお初天神の場所をを取り上げたので書きます。
お初天神a
このお初天神では太平洋戦争の傷跡を見ることができます。
鳥居の柱の横に紙が貼ってあり、そこには

「先の大戦中 大阪駅方面より飛来したという、米軍グラマン戦闘機による
機銃掃射弾丸跡」と書いてあります。
お初天神機銃a
なるほど入射方向は北西ですから、大阪駅方面上空から射撃されたという
弾痕がソコココに。今時、大阪で実弾の痕が見られるの場所は少ない。

太平洋戦争末期に大阪は昭和19年12月以降、20年8月15日の終戦までに、
50回を超える空襲を受け、多大の惨禍をこうむったという。

B29による大阪大空襲は凄くて悲惨だったという資料を読んだ事があるが、
飛行距離の短い戦闘機の機銃掃射があったとは知らなかった。

戦闘機の地上射撃は大抵、人や車両を狙って撃たれるものだから、
多くの方がこのあたりで亡くなられたのだろう。

今から六十年少し前、ここは悲惨な戦場だった...。

少し前に自衛隊の航空幕僚長が「わが国が侵略国家は、濡れ衣」の論文で、
更迭されたが、戦争の始まりをどう言い繕っても、
この石の柱の前ではむなしくて空虚です。

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18:05  |  よもやま話  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.03.17 (Tue)

しゅうまい 「阿み彦」 曾根崎お初天神

お初天神の中にある『阿み彦』は私が21才のころ会社の先輩に
連れていってもらったのが最初。

当時のお店はこの額の絵の姿でした。
阿み彦b
(懐かしいです。満席の時が多かったし、冬場は外で凍えながら待ったっけ。)
今とは境内の逆の場所です。(天井の電球が写り込んでて、ゴメン)
ここで焼売たべて、梅田でお茶して帰るのがコースでした。

岩波正太郎も常連で、小説の中に登場させたとか。
http://www.kuidaore-osaka.com/jp/taste/modern/post_39.html

オススメは名物セット
(オリジナルシューマイ+シューマイ湯スープ+ワンタンスープ)で840円
阿み彦c阿み彦d


ここの焼売は先に蒸したものをフライパンで耳が焦げるくらいに
焼き上げた焼売と、白濁で胡椒の効いたトンコツスープが美味しい。

店主のオススメの食べ方は
・まず焼きしゅうまいをいくつかスープに浸す
・味が染み込んで待ってる間に
・たれと辛子で普通に焼きしゅうまいを頂き、
・次にスープと味の染み込んだ焼売を一緒にいただく
阿み彦a
大阪市北区曽根崎2-5-20
06-6311-8194
月~土11:00~21:15
日・祝11:00~20:15
定休日は無し

今はビルの一階ですが、場所はお初天神の境内に入れば絶対分かります。

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17:52  |  粉もの(お好み焼き/たこ焼き/豚まん)  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.03.16 (Mon)

ちょっとしたプレゼントにどうでしょ

このあいだ表参道MoMAでこんなのを買ってきました。
630円のドアストッパー。
ドアストッパーb
まだ寒い日もありますが、もう少したら爽やかな風がぬける
オフィスの ドアに差し込むと絵になります。
ドアストッパーa
MoMAの名前で親しまれている
ニューヨーク近代美術館の表参道ストアサイト(通販もやってる)
http://www.momastore.jp/storeopen.asp?shopcd=11111

////////////////////////////////////////////
チューブドアストッパー,オレンジ
デザイナー:Tetsuo Shibuya
Tube Doorstopper,2006
説明:
カラフルでユーモラスなチューブですが、押しても絵の具は出てきません。
気持ちの良い風が部屋に入ってきた休日にこのデザインは生まれました。

風でドアが閉まらないようにしておくために、近くにあった絵の具を
ドアにはさんだことがきっかけです。

シンプルな発想で機能的なドアストッパーが誕生。
お友だちの引越祝いにも最適です。
* 素材:シリコン
* デザイン・製造:日本
///////////////////////////////////////////////

こんなのもありますぜ。盗難にご注意。
ドアストッパーc
///////////////////////////////////////////////
ゴールド ドアストッパー
デザイナー:Arik Levy
Gold Doorstop,2006
ドアに金の延べ棒?!
とても人目を引くドアストッパーです。
* 素材:アルミニウム・鋳鉄・低カーボンスチール・金メッキ
* デザイン:フランス,製造:インド
///////////////////////////////////////////////

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17:56  |  デザイン  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2009.03.15 (Sun)

カレー 「タンダーパニー」 吹田関大前

関大カレーf関大カレーb
タンダーパニー、いかにもインドらしい店名です。
私はカレー好きだけど、困った事があります。大汗をかくのです。それも首から上、特に眼の回り。

この日も食べ出した瞬間に大汗でした。しかし、旨いのです。
今もこの写真を見るだけで、汗が出そう。
関大カレーc

ここのカレーはタマネギ、トマト、ニンニクをじっくり長時間煮込んで、
そこに14種類のスパイスを入れ、8時間かけて仕上げるチキンカレーとか。

ライスは黄色いターメリックライスで気持小粒の硬め炊き。
サラリとルーに絡みます。

ひと口食べたら一瞬甘いのか?と思いました。
しかし、ブワッとスパイスが口の中で広がります。

メニューはチキンカレーだけで、サイズは小盛特大まで5種類から選択可能。
この日私は中盛り800円を注文。
一緒にインドの揚げスナック「サモサ」(2個入りで400円)も頂きました。

しかし、スパイシーかっていうと案外アッサリしてる
16kgの淡路産玉ねぎとトマトを4kgになるまでじっくり炒めてつくるらしい。
約2時間煮こんだ手羽元はお肉がスプーンで骨からホロホロ外れる。

ココは会社からの帰りに新御堂を逸れて、ちょっと回り道で立ち寄れるから、
ちょくちょく来そうな予感がします。

今度はタオルを首に巻いて食べます。

関大カレーa

お店のサイト
http://www.face.co.jp/indo-curry/

吹田市千里山東1-18-3 
06-6387-0389
11:00~15:00 17:00~21;30 
休み:水曜日

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