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2011.09.30 (Fri)

生田神社と私の祖先

生田神社近くの焼き肉の白州BAR Alco-Hall(アルコホール)の記事を書きましたが、
この生田神社は私の祖先筋の刀禰氏と関わりがあるかも知れないのでちょっと書きます。

生田神社は藤原紀香と陣内智則の結婚離婚劇で急に全国区の神社になりましたが、
関西では1200年以上の歴史がある有名な神社です。
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生田神社の周辺は市内有数の繁華街ですが、森に一歩足を踏み入れると、数百年を経た
楠木の大樹が繁り、神苑の荘厳なムードが漂いますが妙な事に、この神社境内には
どこの神社にもありそうな松の木が一切ありません。

元々は生田神社は新幹線の新神戸駅近くの布引丸山(現在の砂子山)の山頂に、
祀られていたそうです。山には一面にたくさん松の木がしげっていました。
ill06.jpg

延暦18年、西暦799年に布引の渓の大洪水で、松の木が根こそぎ流失し、倒れた松で
社殿が壊れました。神守をしていた刀禰七太夫(とねしちだゆう)という勇ましい若者が、
ごうごうと流れる生田川をわたり、丸山に登りついて、山の上の神さまを背おい、
何とか村にもどってきた時、丸山が大きな山崩れを起こしました。

何日かたって雨があがると、刀禰七太夫は神さまを背おって村中を歩きまわり、
新しい神社の土地を探しました。ちょうど生田川の西の高台にさしかかった時のことです。
「おや、体が動かぬ。歩けないぞ・・ああ、ここが神さまのご希望の場所なのだな」となり、

刀禰七太夫が祀りなおしたのが、今の場所の生田神社の始めだということです。
この洪水から八年後、平城天皇の大同元年(806年)に、生田神社に四十四戸の
封戸(44住戸分の徴収税つまり定期報酬金)が朝廷から与えらる事になりました。
生田神社への封戸の神と戸の字が、今の神戸の地名の起源だと伝えられています。
当時は生田神社の前がすぐ海でした。
yy.jpg

そして生田の神さまは、松が嫌いになりました。
「砂山にいた頃は、せっかく恵みをかけてあんなに繁らせておったのに、洪水の時には
何と頼りにならなかったことか」と生田神社では松の木を見なくなります。
お正月も門松ではなく杉飾りで、境内の能舞台も老松ではなく、杉が描かれました。
9919_0.jpg
ピクチャ 4

祭りのみこし音頭も『祝いめでたの若杉さまよ 枝も栄えて葉も繁る』の徹底ぶりです。
生田の神社の森では、松の木が育たないという史実が伝わっています。コレ本当です

で、私との関係ですが、私の名字の中禰家は江戸時代中期まで刀禰を名乗っていました。
西暦800年には同じ関西の琵琶湖の堅田で刀禰水軍を名乗っていたとの説があり、
吉川英治の新・平家物語(10)りんねの巻に、刀禰弾正介(とねだんじようのすけ)が
源義経をかくまう下りがあります。刀禰七太夫も私の祖先も同じ神社筋です。
だからでしょうか、私にとって生田神社は妙に居心地の良い場所です。
生田の神様が「よう来たな、まあゆっくりしておいで。」と言ってるような。
血族の者がこぞってお参りして、全員気持ちが良いのならこの話は本当かも知れません。

●参考その1
●参考その2生田神社歴史

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テーマ : 神戸 - ジャンル : 地域情報


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