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2012.05.07 (Mon)

私と松下幸之助さん その1

松下幸之助さんには何度かお会いした事があります。
kounosuke25.jpg

松下幸之助さんは明治から平成を生き抜き1989年に94歳で生涯を終えられました。私は幸いにも、松下幸之助さんの人生の最後の方で、お会いする事ができて、大げさに言えば仕事をご一緒するチャンスに恵まれました。中央技術研究所館内の総合デザインセンターに出入りしていた外部デザイン会社の社員だった時代の出来事を3つ書きます。

守口市の本社向かいの中央技術研究所(当時)
o松下b

一度目は白物家電商品の新商品開発で、家庭用の精米機のコンセプトモデルを私が担当していた時に、ようやく1号デザイン試作機を完成させて、技術本部の向かいの本社役員会議室で、デモ発表した後のことです。

この本社3階南の会議室と東側通路の湯茶室でした。
ピクチャ 松下2

私が会議の資料を片付けていると、何やら廊下の湯茶室から水道のジャージャーという音が聞こえます。誰かが水栓を締め忘れたかと、行ってみると、何と幸之助さん自ら、試作の精米洗米機を動かしておられました。廊下の横にはお付きの秘書課の女性社員がニッコリと会釈されます。

幸之助さんが、「こういうものは自分でやってみんと分からん。」と一通り触ってから濡れ手をタオルで拭きながら私に「頑張ってゃ、エエもんつくってゃ。」と言われました。私が26歳の時でした。

次は私が29歳の時です。場所は門真の松下無線研究所の会議室です。京阪電車西三荘駅から北の国道1号線沿いの本社屋までこんな研究棟が並んでました。
01v.jpg

その日、そこには私のチームがデザインしたPCシステムがデスクにありました。2ヶ月半突貫で仕上げたデザインです。PC本体は3段重ねのデッキスタイルで、その前にはマウスとジョイスティックとA5サイズのグラフィックタブレットがあります。

松下電器の中でもほんの僅かの幹部社員しか知らない極秘プロジェクトでした。1980年当時はIBMがパーソナルコンピュータ市場へ進出し、創世記のApple社がスティーブジョブスの元で、リサ・プロジェクトを進めている、まさにその時でした。

当時、松下電器は富士通との合弁会社でパナファコムという、オフコンを生産販売していて事業も好調でした。
Youtubuに当時のパナファコムのCMがありました。


大きな部屋にポツンと私のデザインしたシンプルなPCシステムがあります。デスクの後の衝立てに、隠された太いケーブルの束が隣の部屋に続いていて、そこはブーンという冷却ファンの回る、コンピュータシステムラックが何台も並ぶ、冷房の効いた大きな部屋でした。

松下幸之助が入室すると、隣の部屋の空気が変わるのが分かります。無線研究所所長のプレゼンが始まり、マウス、グラフィックタブレット、今のアプリで言えばパワーポイントのような当時としては画期的なデモが進んで行きす。

説明が終わりかけて、それまで説明を聞き、操作デモ機に手を動かしてうなづいていたと思われる幸之助は、突然の一言を発します。「うちはパソコンはやらんのや!」その瞬間、部屋の空気は凍りついて、誰も何も言わないまま幸之助さんは退室しました。

無線研究所の開発メンバーは次々に会社を辞めて、大学の研究所を経由したりして、国内外の大手PCメーカーに移って行きました。後の1995年のレッツノートPCの発売まで、松下のPC事業が15年間止まる事が決まった一日でした。当時の松下電器の判断はそうであっても、私は中身を知っているだけに「何んて、もったいない事を....」という思いで一杯でした。

3つめの幸之助さんの話は次に書きます。
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